ランカウイ「ツアーレポート」Day4

3月7日 第7ステージ クアラ・クブ・バル−ダタラン・ムルデカ(クアラルンプール)

さていよいよレース最終日。ホテルの朝食にはもちろんカレーがありましたから、朝からがっつり
いかせていただきます。もちろん小魚の干物の素揚げも一緒に。プールカーに分乗してゲンティンを
無事に降り、スタート地点の街に到着したら、時間にたっぷり余裕があります。日曜日なので市が
開いていて大層にぎやかなのでまずは首を突っ込んでみました。

なんだか分からない魚を次から次へとさばいていたり、鳥をばんばんたたっきっていたり、ああ、
いかにもアジアの市場だなあ、と、こーゆーのを見ると嬉しくなるのはO野の体質です。
一角で腕時計を売っていたので覗いてみると、オ○ガにロ○ックスにタ○ホイヤーと有名ブランド
目白押し。値段は?

「10RM」

1RM=1マレーシア・リンギットは30円くらい。10RMあれば初日のホテルは昼食のビュッフェで
カレーが好きなだけ食べられました。この朝市ではバナナ1キロを2RMで売ってます。ためしに手に
取ってみると、バンドの触感だけでこんなもんがスイスで出来てるわけはない、と一発で分かります。
O野は「いやげもの」に目がない方なので「部下への土産にしたろかしらん」と物色してたら、
居合わせたナカネGMが「これも10RMだって」と取り上げた時計には針が一本もありませんでした。

ロ○ックスで針があってちゃんと動いていて、なおかつO野の好みに合う、という条件を満たしたのは
5本そこらでした。買ったかどうかはともかくとして。

 Tグチ夫妻と合流し、この国でもあちこちにあるセブンイレブンに入ってみました。品揃えはまあ
日本のコンビニに近づいては来ますが、時々突拍子もないというか想像も付かないものが置いてあります。

 「S木くんに試してもらおう」と一行が選んだのは、紙パック入りのジュース。ライチとサトウキビに
挟まれていたのは、どうみても「キュウリ」でした。

 「君に是非にと思って買ってきてあげたんだよ」とTグチ(嫁)さんにパックを渡されたS木くん。
「こ、これはきついっす!」と一口でダウンしました。甘いものが好きなN本さんも「これは・・」
と轟沈。O野も一口試してみましたが、まず青臭さが広がった後、後味で一気に甘さが押し寄せる、
という二段構えのすごい味。勘弁してください、と次へ渡しました。

 一同全滅かと思いきや「あれ? これ私全然いける」と言い出したのはチョイスした当のTグチ
(嫁)さん。
ある意味ハッピーエンド、といってもいいのでしょうか・・・「だって美味しかったんだも〜ん」?
ハッピーエンドでいいそうです。

 いっぽう、ナカネGMは自転車用品の出店や地元のMTB団体に次々アイサンフラッグを
プレゼントし、友好宣伝に努めていました。たぶんあの自転車屋さんのテントの軒先にはいつまでも
アイサンフラッグが翻っていることでありましょう。N本さんによると、団体には「長老」がおられ、
しぶいビンテージのシングルスピードに乗っておられたとか。

 マレーシアについて以来、毎日欠かさず名古屋−大阪間を車に乗って移動している計算なので、
さすがにプールカーに乗っても疲れます。ほどよく冷えてほどよく日光に照らされて、助手席で
カメラを抱いたままうとうとすることも。一応今日も山岳ポイントがあり、狭いワインディングの
登りがありましたが、昨日に比べりゃにきびみたいなもんです。

 昨日と違うのは、周辺の植生です。今日の山岳コース一体は「SIME DERBY」という
世界最大手のプランテーションの所有物。マレーシアとインドネシアにパーム椰子とゴムの畑を
総面積5000平方キロ、群馬県ひとつ分持っているというべらぼうな土地持ちです。見渡す限り
整然と椰子の木が等間隔に並び、下生えはきれいに整理されて人間の手の存在を強硬に主張しています。

 それはそれで圧巻ですが、ゲンティンでの超巨大なシダ(「あれでワラビかゼンマイがとれるなら
どれだけ大きいんだろうなあ」とN本さんが名言を残しました)や、テーブルツリーの熱帯雨林を見た
後では少し不気味にすら感じます。しかし「プランテーション」=単一作物生産経済なんて言葉、
ちゅーがっこうの社会科で教わって以来四半世紀ぶりに思い出しました。

 沿道は日曜日なので、おとついよりは組織だった感じが無く、家族や仲間がぼーっと眺めている感じ。
手を振ってもにっこりほほえみ返されるくらいで、そうそう劇的な反応はありません。ただ、
逆方向や合流路線を有無を言わさず止めてるので、そこここに大渋滞が発生しており、そこを白バイの
先導で蹴散らしていく、というのはなんだか肩身が狭いというか悪いなあ、というか居たたまれなくて、
自分の小物ぶりを実感してしまいました。郊外でもそうなのに、クアラルンプールの町中で白バイが
路線を譲らなかったバスの運転手に、ステップの上で立ち上がって走りながら説教している、なんて
もんを見せられた日にはたまったもんじゃありません。

 本日の、そしてツールのゴール、ダタラン・ムルデカ(独立広場)に到着。独立宣言がなされた
マレーシアの国家記念の地で、超巨大な国旗が広い芝生の広場の上に翻っています。今日はここに着いてから
6周のクリテリウムなのでゆっくりレースが見られます。首都の市中を疾走する大集団を追走してみたいですが、
さすがにそれは無理。バンコクとインドネシアから応援にかけつけた愛三工業の社員のお二人も合流し、
暑いさなか汗を流しながら到着を待ちます。

 最初の1周は6人ほどの逃げ集団がまず来ました。愛三はいません。大集団はイエロージャージの
ISDと、唯一のプロツアーチームなのに何にもしてないセルヴェットが引いています。愛三勢は
あちこちに散らばり、なかなか視認できません。

 ゲストIDの神通力で、ゴール脇にテントと座席を用意してもらったのですが、壇上から眺めてても
歯がゆくなり、柵にしがみついて写真を撮ることにしました。2周、3周とするうち何枚か西谷選手の
まともな写真が撮れましたが、アウト側にいる私が撮れたということは有利なインからはじき出されている、
ということで。

 終盤、アスカリ選手が強力な単騎逃げから3人での先頭交代に持ち込み、あわや、と思わせましたが
最終周回は集団スプリントに。大外を回された西谷選手、一瞬良い脚を使ったのですが、やはり
伸び切れませんでした。

 表彰式前に、愛三チームは菜々さんの計らいでレース主催者の大臣たちに壇上でご挨拶。そのまま
ゴール前でツアー一行と記念撮影になりました。O野も一緒に入れてもらいましたが、いつもは
あっち側の人間がこっち側にいる、というのは実に奇妙な気分でお尻がむずむず。後で見ると、
なんか1人だけ場違いな方向を見てたりします。自分で自分の写真は撮らないですからねえ。

 昨日の教訓から念には念を入れて確認したホテルに無事投宿。
このツアーで初めてバスタブのあるお部屋! とかんどーしたTグチ(嫁)さんは即お湯をためて
日本から持ってきた入浴剤を入れて足を伸ばして「極楽極楽♪」。

「洗面所を使えば水がジャブジャブ漏れようがアメニティグッズが無かろうが
 床にゴキブリが潰れていようが、バスタブがあれば全て許せてしまう・・・。
 人間「慣れ」とは恐ろしいもので大概の事はOKになっている自分がそこにいました(笑)」
 byTグチ(嫁)

 O野の部屋のバスタブにはゴキブリはいませんでしたが、栓がありませんでした。しかしフロントに
クレームを付けることを思いつく前に、備え付けのシャワーキャップと食べ終えたラムネ菓子の容器で
即座に自作し、無事洗濯まで終えることができました。

 集合まで後1時間半あるな、とふと思ったO野は、やおら身支度をして表へ出ました。
これで珍しい乗り物には目がない方で、ホテルの前を走っているモノレールが気になって気になって
しかたなく、乗って2駅のショッピングモールまで行って帰ってこよう、という狙いです。

 あらかじめ「地球の歩き方」で乗り方を予習し、絶対間違ってる発音で行き先を告げたけど、
ちゃんとした値段の磁気カードを売ってもらい、裏表を間違えてしばらく改札に入れず、ついでに
ホームの上下線を間違えかけたけど、最初の電車が来るまでに全部解決。無事に乗り込みました。
運転間隔が長いのでがらがらかと思いきや、久々に味わう密着ラッシュ。ヘジャブを付けたムスリムの
お姉さんもいてる満員電車というのは、かなり緊張する空間でした。

 モールへ飛び込んで、目当ての土産物を買い込み、ほんと久しぶりに本屋を物色して今季の
UCIプロツアーの展望号を買い、よしよし時間ぴったりだ、と17時半少し前にホテルに帰って
きたらロビーに誰もいません。

 あれ? と部屋に荷物を入れ、再び階下へ降りても誰もいない。もしや、と思って携帯を取り出すと
16時半過ぎにナカネGMから着電が・・・

 おお、やっちまったい。

 商売柄、時間厳守は生活習慣なんですが、うっかり1時間まちがえる、という癖は、そそっかしい
性格のおかげでなかなか治りません。たいていは前へ間違えて自分が1時間余計に待つだけで、
「1日早く研修に行っちゃった」という武勇伝すらありますが、後ろへ間違えたのはほんと久しぶり。
大あわてでコンタクトを取り、ホテルの前で客を降ろしたばかりのタクシーに飛び乗って、
「ツインタワー、プリーズ!」。今夜の便で成田へ帰るKトウさんのためペトロナス・タワー内のタイ料理店で
開かれた送別会にどうにか間に合いました。
 Tグチ(嫁)さん曰く「何かあったんじゃないかと心配したけど、何かあったらネタにしてしまう人だから」。
難儀な人格に対し、かように迅速かつ的確なご理解に達して頂き、感謝の念に耐えません。

 ツインタワー内を各自散策している間に、激しい雨が降りましたが、集合時間には上がっており、
湿気の中に浮かび上がるペトロナスタワーの夜景は壮観の一言に尽きました。中の店舗はイスラムの
縛りも緩いので、お酒もいろいろ。自転車ラベルのチリワイン「コノスル」を入手したTグチ夫妻の
発案で、部屋でみんなで飲みましょか、ということに。その前にタクシーの予約を、とホテルに頼んだら、
「1台80RM」と言われました。

 滞在最終日、みなRMの手持ちが少なくなっており、全部合わせても2台分に70ちょっと足りません。
ホテルも現金を持ってない。フロント氏は「チャイナタウンがすぐそこだからいってこい。レートも
あっちの方がいいぞ」と言います。

 せっかくだからチャイナタウンを見に行こう、と全員で出かけましたが、交通量の多いロータリーを避け、
歩道橋を渡ったばっかりにさらなる混乱が生じました。

 先行したS木、O野、N本組が「チャイナタウンはどっちだ?」と行き会わせたお巡りさんに
聞いたら「上がって左へ曲がれ」。後続のTグチ夫妻・ナカネGM組が聞いたら「下がって右へ曲がれ」。

 どっちでも到着するにはしましたが、先行組は山を巻いて下って入るのでエライ遠回りに。かなり
古い建物やものすごい屋台街を見てきゃあきゃあ喜んでる間(「嫌だここに残る、明日は帰らん!」と、
不埒なことを言い放った馬鹿も出たようです)に、ナカネGMたちは両替に成功しました。ドルで
替えたら結構レートも良かったようです。迷子寸前の先行組もなんとか帰り道を発見し、なかなか
エキサイティングな夜の散歩になりました。

 やれこれで安心だ、とGMの部屋に集まって、二本目のワインが開きかけたころ。お酒を嗜まないので
自室で休んでいたN本さんは、11時過ぎにもなってここ数日おなじみのドライバー諸氏の訪問を受けていました。
明朝はタクシーも予約したし、両替も済ませたからもういいよ、といっても「余計な出費をさせられない」
と譲ってくれなかったそうで、そのまんま酒盛り会場へ同道。なんか警官に踏み込まれたような雰囲気でした。

「あなた方を明日迎えに来る。渋滞が発生する前に市内を出たいから、5時45分に集合してほしい」

 さすがに殺伐とした空気が流れました。なんせそろそろ日付も変わる頃。さっきの両替騒ぎは一体
なんだったんだろ、ということになりますが、よくよく見ればくたびれ果ててるのは我々以上に朝が
早く、こんな時間まで働いてるドライバーの皆さんも一緒かそれ以上。彼らも必死に感情を抑えている
様子は見て取れました。

 「わかった。お互い長い日だったから、もうそろそろお休みなさいを言う時間だ。その前に・・・
 フロントへ一緒に降りて、タクシーをキャンセルする説明につきあってね?」

 不思議なことにこうなると、両方とも被害を与え合ったはずの仲なのに、なんとなく同志意識が。
フロントのおじさんは直ちにタクシー会社に電話し、派手な身振り手振りながら断ってくれ、
ドライバー諸氏とは握手を交わし、疲れ切ってはいても笑顔で分かれました。

 しかし、困ったのは残ったリンギット。おみやげを買うもよし、ですが、さっきチャイナタウンを
そぞろ歩きして一文も使っていないことが悔やまれてなりません。荷物をきちんと詰め終わった後で
O野は再びぶらっと独りで表に出ました。

 チャイナタウンは撤収の足が速く、露天はほとんどが店じまい。湿った空気の中に何ともつかない
臭気も漂い初め、とっとこ歩いていてもさっきとは違ったうらさびしさを感じます。

 ちょうどさっき通った角で、路上に机を出して営業している店を見つけ、ビールと簡単な料理を
頼んで1時間ほどぼーっと呑んでいました。ネオンがぱちぱち言う道ばたで、ひとり黙って呑んでた
ビールは「アンカー」。自分の乗ってる自転車と同じ名前のビールを、黙々と呑む、というのは、
火のついたように喋りっぱなしだったツアーの中で、久々に訪れたハードボイルドな時間でした。
もっとも「なんか手持ちのRMで足りないような気がするなあ」という不安を押し隠すポーズでもあったんですけど。

 勘定は1RM紙幣いちまいと小銭を残して無事に済み、もうすることもないのでホテルへ帰り、
「明日は何があっても時間を間違えてはいけないぞ」と固く心に刻んで電気を消しました。

 もちろん、マジカル・ミステリー・アクシデンタル・サスペンス・ツアーは最終日もさまざまな
イベントを用意して我々に襲いかかってくるのです。

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