ランカウイ「ツアーレポート」Day3

3月6日 第6ステージ プトラジャヤ−ゲンティン・ハイランド

  昨夜、トムサンがS木くんを連れてくるのを待っていると、大会組織委員会のおじさんが、
「明日は我々の車に乗ってもらう」と伝えに来てくれました。ついでに人数分、大会の帽子と
ポロシャツもくれました。Sが三枚もあったので、うち2枚はナカネGMとN本さんの娘さんへの
おみやげになってしまいましたが、やっと本格的に応援できる日にそろいの衣装とは幸先が良い。
機嫌良く朝食を取る際、もちろんカレーでがっつりいきます。

 閑話休題。尾籠な話で恐縮ですが、海外に行って悩まされるのが環境の変化によるお通じ。
水にあたってくだりっぱなし、というのはもちろん大変ですが、ミネラルウォーターで歯を磨く(!)
など、対策を徹底していればある程度防ぐことは可能です。

 なかなかままならないのが、繊維質をあまり取れないのでお腹が張る、方の現象。実はO野は
年がら年中二日酔いですので、普段はこの症状で悩むことはまずないのですが今回の旅行は
ビールぐらいしか飲めてないので大丈夫かなあ、と心配していました。

 でも、その心配も朝昼晩と辛いカレーを好き放題食べることで一気に解決! とある部分が灼ける
ように痛くなるものの、こちらの便器にはハンドリングサイズの小さなシャワーがついているので
ウォ○ュレット同様に助かりました。

 ・・ただ、ですねえ。落ち着いて考えると、形状といい水圧の強さといい、どうもご婦人専用の
設備を拝借しっぱなしだったような気がしてならんのです。まあ、衛生面に問題はないと思いますが。

 下の方への脱線はさておいて。この日のスタート地点はプトラジャヤ。クアラルンプール郊外に、
首相官邸初め主要行政施設をまとめて移転してきた豪快な計画都市です。スタート地点は首相官邸
正面からまっすぐ延びる道路の突き当たりで、マレーシアが国家の威信を示すために設定された、
というのは誰の目にも明らかです。朝から結構降っていた雨も上がり、蒸し風呂状態になりましたが
空が抜けるようにきれいになりました。

 大体においてマレーシアの街は綺麗です。建物が古びていることはあってもあまりゴミも落ちてないし、
車は古くても綺麗に洗車されて走ってます。清潔命の隣国シンガポールに比べてどうなのかは知りませんが、
ジャカルタ出張経験のあるN本さん、バリ島に詳しいKトウさんは揃って「きれいだ」と口をそろえました。
中でもこのプトラジャヤの整然とした美しさは、ちょっと群を抜く感じでしたね。

 行政施設の軒下をお借りして、各チームとも準備に余念がありません。これから100キロ走って
1600メートル登るアジア屈指の難関山岳を前に、我らが愛三チームは言葉少なに補給食を摂り、
念入りに足の手入れをして、スタートに備えていました。別に怖い顔をしてるわけではないものの
ちょっと言葉をかけるのが憚られる、という緊張感がぴん、と張りつめた雰囲気。ゴールした後に
選手の皆さんから「せっかく応援しに来ていただいたのにあまり対応できずにすみません」という
伝言が届きましたが、あのぴりっとした空気はそうそう滅多に体感できるものではない、と、記者の
ハシクレからも口添えしておきます。

 昨日よりは少し余裕があるので、出走サインのセレモニーは見ることができました。西谷選手は
アジア優秀選手賞のブルージャージを着用。ポイントジャージのマナンからの「おさがり」とはいえ
各賞ジャージの一員として他の人と一緒に紹介されるのは誇らしいものです。

 今日は山岳だから何度か止まって応援しては追い抜きが出来るかな、とちょっと期待していましたが、
大会公式車両には集団に対してどの位置をキープするか細かい決めごとがあり、我々が乗せてもらった
プールカーは集団に先行してゴールまで行ってしまわないといけない車。抜きつ抜かれつをやろうと
思えば、雄風太さんのようにバイクの後ろにのっけてもらわなきゃいけない、となれば仕方ありません。

 というわけで選手より一足先にゲンティンハイランドの登りに突入です。ドライバーはセカンドに入れっぱなし。
それで右へ左へ激しく曲がりくねりながら上がっていく。やや体重に問題のある自転車乗りには
「怖い怖い怖い怖い!」と逃げ出したくなるような傾斜です。それでもこれをロードバイクで登ってる
素人さんが結構いたから驚きました。いつの日か我々のツアーにも「ゲンティンを先に自転車で登る組」
ができるのでしょうか。

 なお、昨日はホテルのある街がゴールでしたから大荷物はゴールで待ってましたが、今日は7人分の
スーツケースと一緒に移動。巡り合わせでKトウさんがマレー人の運転手と2人乗りになりました。
前日ムアルからポートディクソンに向かった際は「コール・ミー『J○h』」と自己紹介して握手した
くらいで、あとはほとんど口をきかず、無口なお兄ちゃんだな、と思ったのですが、2人きりになると
「友人の奥さんは日本人で『○ズコさん』とゆーんだ」「クルマはホンダのアコードだ」といろいろ
話しかけてくれたそうです。

 タバコがダンヒルで時計がカシオ。「自分はタイ国境に近い生まれで、あの辺で育つとパスポート無しで
国境を越えられる。だから、遊びに行くのは皆タイに行くんだ」てな話もしてくれたとか。

 ちなみに何の遊びかと言いますと、マレーシアは呑む打つ買うの三道楽のうち、最後のひとつに
ことのほか厳しく「エ○雑誌の持ち込みは麻薬並みに厳禁です」と「地球の歩き方に書いてあるほど」。
実際、雑貨屋やコンビニに置いてある雑誌にそーゆーものはひとつもなく、たまに日本の女性ファッション誌並の
露出度の表紙を見ると「お?」と思ってしまうほど。もちろん中身はファッション雑誌。
開いたって表紙より一枚足りとて衣装は減りません。

 そーゆー国で、国境越えてまでしたい「遊び」とは何かは申しません。ただ昨日は無口だったのに、
2人きりになったとたんに「一緒に行ってみないか?」といわんばかりに水を向けられたのは、
Kトウさんの人徳のたまもの、なのでしょうか。Kトウ家の平和と名誉のため、お父さんはつつしんで
ご辞退したことを書き添えておきます。

 ゴールの山頂にたどり着くと、下界とは10度差あるので肌寒いくらい。到着までの隙を狙って、
バス停留所の売店で昼食にしました。暖かい食べ物もあるようですが、カウンターに大阪で言うとこの
「おばはん」が5人も6人もべったりへばりついて「わたしの炒飯まだかー!」と叫び続けています。
中国語もマレー語も分かりませんが、多分間違いない。恐れをなしたO野はソーセージの入ったパンを
ふたつ買って早々に逃げ出しました。ここでスルドイ観察眼を発揮したのがTグチさん。
「おばはん」たちが頼んだ炒飯が、バケツにたまる勢いで着々とできあがりつつあることに目を付け、
オーダーしたら即出てきたとか。ナカネGMとともに「あれはうまかったねえ」と満足そうで、
出来合いのパンに飛びついた連中を後々までうらやましがらせていました。

 少しくだって最後の登り勾配に陣取り、到着を待ちます。日の丸やはちまき、愛三フラッグで
「完全武装」した集団は目立つようで、あっちこっちから撮影依頼を受けました。中でも埼玉は
大宮の学校に通っていたらしく日本語が上手な地元民のお姉さんは、カレシともども応援の助太刀を
買って出てくれて、感激したナカネGMから愛三フラッグと絆創膏がプレゼントされました。
ちなみにプロチームの「ジェネラルマネージャー」というのはすっごくエライ人だと思われたようで、
先方も大感激だったとか。彼はフラッグを「オフィスに飾る!」と大変気に入って下さったそうです。
「異国のオフィスに飾られているフラッグを想像すると嬉しい気持ちになりますねぇ」(Tグチさん)。

 なお、Tグチさん夫妻は「キナバル山で一緒にヒルクライムしませんか?」とお誘いを受けましたが、
これは標高4095M、ボルネオ島にある東南アジア最高峰。「誰が富士山より高い山を登るんだ?」
と丁重にお断りさせて頂いたそうです。現地のサイクリング雑誌には「ゲンティンハイランドの登り方」
特集もあったし、マレーシア恐るべし。

 山の天気は変わりやすく、ほとんど霧とガスに下が包まれ、なーんにも見えなくなって待つことしばし。
ジャージにも自転車にも蛍光イエローをあしらった派手な自転車が姿を現します。往年のイタリアの
名スプリンターにして伊達男「スーパーマリオ」チッポリーニが自らの名を冠したバイクを駆るのは
ISDのクライマー、ホゼ・ルハノ。2005年のジロの山岳王、という輝かしい経歴を持つ
ベネズエラ人は今回の優勝候補の筆頭、予想通りにやってきました。体重40キロあるかなしかの
小柄な体躯で少し左右に蛇行するものの、顔には余裕の笑み。翌日の新聞記事によると
「十分に朝食を摂れなかったのでエネルギーがなくなっていた」そうですが、とてもそうは見えませんでしたな。

 2位はソウルチームの通称「ゴンちゃん」。我々のいた地点に、監督さんらしき人がいて、無線マイクを
握りしめてそれこそ絶叫につぐ絶叫、阿鼻叫喚で後押ししていました。ルハノには3分ちょっと差を
つけられたものの、セルヴェットほかの強豪を抑えての2位、アジア最優秀ライダーをほぼ確定しました。

 ただ、ゴール地点を見てない我々には、そんなん関係ありません。「愛三はまだかー!」と祈るような
気持ちで待ってると、来ました!

 まず、ケンケン選手。続いて匠選手。ふだんの快速を見慣れた身にはほとんど「止まっている」と
いってもいいぐらい、じわりじわりとしか上がってこれません。手こそ出さないものの、声で背中が
押せるなら、とここを先途と声を張り上げる一同。なるほどテレビで見てたモンヴァントゥーとか
ラルプデュエズはこんなんだったのか、と初体験のO野はやっとこさ納得がいきました。

 綾部キャプテン、品川選手、西谷選手の順であえぎあえぎ通過していくと、ほどなくして小集団が。
真ん中にグリーンジャージ、マナン選手が見えます。「今日はタイムリミットを越えないのが目標」
と新聞に話していたので、これは予定の行動でしょう。ファインダーの中には会心の笑みが見えました。

 つまりマナン選手より先か一緒にいればタイムオーバーの恐れはありません。ですが・・・

 「わー! 盛選手が来てないー!」

 ここまで西谷選手のスプリントを強力にアシストし、大活躍の盛選手。何が何でも最終日まで生き残って
もらい、クアラルンプールのクリテリウムにたどりついてもらわないと。

 幸いほどなくして姿が見えましたが、かなり苦しそう。見かねた地元のお兄ちゃんがコースに飛び出し、
一緒に走りながらお尻を押して最後の勾配を越える手伝いをしてくれました。厳密に言えば反則ですから、
アイサンの看板を背負ってる我々にはできないこと。「ありがとう」と心からお礼を言い、彼が本気で
応援しているマレーシアナショナルチームの選手に、気合い入れて声をかけることでわずかながら
お返しをしました。

 さてさて、ツール最大の山場も終わり。カジノやテーマパークのあるこの国屈指の観光地で何して
遊ぼうかな、と呑気に車へ帰ったところから、我々にとってのゲンティン・ステージは始まったのです。

 きっかけはささいなことでした。「ホテルはどこだ?」と組織委員会のドライバーが聞いてきます。
たぶんここだ、と旅程表にあったホテルを伝えると、ゴルフコースが付属した麓のホテルまで降りて
くれました。下りでこんだけ怖いんだから登りはどれほどきつかったんだろう、と、ぞっとするような
ダウンヒルを終えてたどり着いたホテル。しかしながら、我々の部屋はありませんでした。

 しょーがないので車寄せにスーツケースを並べてたむろしてると、愛三の選手たちが帰ってきました。
誰の顔にも憔悴の色が濃く、たまたま匠選手の隣を歩いていたら「もう、足が、いっぱい」という
力無いつぶやきが聞こえました。

 そうこうするうち、ドーピング検査を終えた各賞ジャージが到着。前日ステージ優勝を飾ったマナン
選手にさっき買った新聞にサインしてもらい、総合優勝が確実なルハノ選手には帽子にサインをもらい、
と、O野はふだん職業柄自制しているミーハー根性満開で駆け回っておりました。
さらに、愛三チームとのニアミスにより、ナカネGMが大会で使用している「サコシュ」を愛三チーム
からもらってきてくれました。非売品なので超レアなサコシュです。自宅で首からサコシュをかけて
おやつを入れて歩いている、というTグチ(嫁)さんのコレクションがひとつ増えました。

 そのうちようやく結論が出て、「部屋がない。今、別のホテルを取ったからそっちへいこう」と、
更に下山します。たどりついたホテルで一行を待っていたのは、

2人部屋ひとつ、1人部屋ひとつ、そして4人部屋ひとつ。

という部屋割りでした。

Tグチ夫妻にまず2人部屋を割り当て、個室で別払いしたKトウさんが1人部屋(ただし窓無し)。
愛三工業の社員同士に、あんまし物事に動じないO野、という4人組にして、さて部屋に入ると・・

男4人に対してダブルベッド二つ。

 「しょうがないなあ、ナカネくん。一緒に寝ようか」とN本さんが大人の対応を見せ、「私も
以前に経験ありますし」と鈍感なんだか大胆なんだかわかんないO野の発言で、S木くんとの
添い寝が決定。なんか完全に居直ったというか開き直った状態で、さて飯でも食いに行きましょうか、
と表へ出たら、ドライバーさんたちがまたやってきて「ホテル・チェンジ」とゆーではありませんか。

 ナカネGMと菜々さんと名古屋のHISで連絡を取り合って分かったのは、

・我々の部屋は山頂のカジノのあるホテルにおさえてあった。
・ところが我々がゴルフのホテルの方へいってる間に、同じ7人の団体が来て、彼らにその部屋が
 割り当てられてしまった。
・困ったドライバー諸氏は手を尽くして新しいホテルを確保したが、報告を受けた組織委員会の
 ボス・ジャマルさんが「そんなんでいいわけないだろう!」と再びカジノのホテルに部屋をゲット。
・せっかくやってきた客を目の前で取り上げられたホテルの親父がスタッフに執拗に抗議。
結局、山上からスタッフの一部が移ってくることになったようだ、と、これはN本さんの情報。気の毒に・・・

 つーわけで、みんなで動きましょう、ということに。まさか1日に2度もゲンティン・ハイランドを
登るとは思いませんでした。

 到着したカジノのホテルは、「これ何の鉄道のターミナルですか」という図抜けた規模でした。
なんせチェックインするのにナンバーカードを取って待つ、という恐るべきサイズです。

 安宿体質が染みついてるO野なんぞは「こんなとこに泊まれるわけないがな」とハナから逃げ腰で
いつ「もう一回山を下りろ」と言われても大丈夫なように心の準備をしていたのですが、素晴らしいことに
全員に部屋が割り当てられました。O野とS木くんはやっぱり相部屋。ただしツインベッドだったので、
少し間隔を広げてお互いの貞操と身の安全を確保。外に食べに出られるロケーションではないので、
手近にあった中華料理屋に飛び込みました。

 いやはや、冷たいビールが沁みたこと沁みたこと。ふだんあまりお酒をたしなまないN本さんまで
「今日のビールはうまいなあ」と、しみじみグラスを傾けてました。え? なんですかTグチさん?

「レースが終わったのが14時、ホテルにチェックインできたのが19時。
 そりゃビールが美味しいに決まってるじゃないですか!!」

 おっしゃるとーり。待ちに待った1日の締めだけに、オーダーしたら5分も待たずに料理が出てくる
スピードは感激的でしたがテーブルがすぐいっぱいに!。必死で片づけ、ハードなステージがようやく終わりました。

 マレーシアで唯一のカジノを持つこのホテルは、ホテルの中にテーマパークがある、という冗談の
ような大きさを誇っており、ゴンドラが水路を流すわ、上空をモノレールが走るわ、自由の女神は
立ってるわ、ともうむちゃくちゃ。中でも一番人気が「スノーワールド」というアトラクションで
水槽の中に雪を積もらせ、雪だるまが作ってあるというもの。常夏の国ならではの施設に、行列が
できていました。

 あと、なぜか通路のあちこちに体重計が。20セントを入れて乗っかる、というだけの単純なものに
なんでお金を払うんだろう、と疑問を持ちつつもO野とS木くんはうっかり払ってしまい、残酷な
数字にうちのめされてしまいました。

 冷やかしに出たものは何人かいましたが、誰もカジノまではいかなかったようです。下界より
気温が10度は低いゲンティンの夜は、大層快適なものでした。あくまでO野の主観で、
昨日まで見も知らなかったおっさんに隣でいびきをかかれたS木くんの意見はまた違うかも
しれませんが・・・なに? 「控えめ」だった? そうそう、そういうことにしとこうね。

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