ランカウイ「ツアーレポート」Day2

3月5日 第5ステージ ムアル−ポート・ディクソン

朝5時半集合、という過酷な任務に従うなら、朝食は5時にはいただかなければなりません。
とてもとてもそんな時間から食堂はやってないだろう、と思いきや、ちゃんと真っ暗な中で開いてました。
とりあえずパンからかな、と思ったんですがココナッツライスがあったので米の飯に変更。
おかずは鶏肉のカレー煮、きしめん風のヤキソバ、そして・・

ココナッツライスの隣に、不吉に赤い色をしてぐつぐつ煮えているものがあります。まさか朝から
カレーではあるまい、と思うのですが、どう見てもカレー色。かき混ぜると禍々しく赤黒い色の中から
いったいどんな味がするのか見当も付かない匂いが立ち上ります。

旅行初日。まして早朝。こういうアブナイものは避けて通るのが賢いツーリストですが、馬鹿な
ジャーナリストは自分が酷い目にあってもネタがいっこできたらラッキー、と考えてしまうのです。
ただちにゴハンにかけて、味わってみました。

「ん・・・あ、甘い?」

甘いとも辛いともつかない味。豆板醤とでもいうのでしょうか。日本でカレー屋の看板を揚げてる
店でお会いできるとはとうてい思えない不思議な味でしたが、思わずもういっぱい頂いてしまいました。

「よく朝からそんながっつりいけますねえ」と皆さんに呆れられましたが「食えるときに食っておけ」

私の商売の鉄則です。珍しくのちのち実を結びました。

 さて、大方の予想に反して、トムサンは集合時間の15分前にしっかり現れました。思ったより
しっかりしているようですが、だとすると9時スタートのレースに5時半に出発するとはどういう
ことなんでしょうか。

 椰子の木のプランテーションが延々広がる暗闇をワゴン車は走っていきます。途中、給油のため
ガソリンスタンドに寄ったとたん、転がるように車から飛び降りて売店へいちもくさん。

「イングリッシュ・ニュースペーパー!」

 マレーシアはマレー語・中国語・英語の3言語国家なので、新聞も言語ごとに数種類あります。
最初の二つは全く手に負えないので、まだしも読める2紙を買い込んでがさがさ広げると、
おお載ってる載ってる。我らが西谷泰治が思い切りガッツポーズしています。英語の新聞はゴルフや
サッカーのプレミアリーグの方が扱いが良いので、ナカネGMは読めないのを承知で、1面に西谷の
写真が出ているマレー語の新聞も買いました。

 笑えたのは優勝者より派手なガッツポーズをした盛選手を中心に据えた写真を載せた新聞もあったこと。
西谷はチャンピオンジャージを着てるし、ナンバーカードからして盛が優勝者じゃないのは現地の編集者の
目にも明らかだったはずなんですが。ナカネGMは「愛三がチームとして機能し、リザルト的には4位だった
盛を称えるところがロードレースを知る国であり、浸透している証の様に思えた」という感想を得られたそうです。
日頃新聞を作っているO野は「絵柄のいい方を使っちゃったおっちょこちょいがいたんと違うかな」と
ミもフタもない邪推をしてしまいました。マレー語の新聞なので、真相はわかりませんが・・

 順調に飛ばしていたトムサン、途中からなんかアクセルワークがまた探るように。そのうち、
夜目にも鮮やかな警察の看板が見えてくると、やはり言いましたね。

 「どっちへいっていいかわかんない。ちょっと聞いてくる」

 やはり迷う時間を計算に入れとったんかい! と車内の全員が速攻でつっこみました。

 ここから先、トムサンは信号で止まるたんび、暗い中を仕事先へ向かうバイクを捕まえては、
「Muar(本日のスタート地点)はどこだあ〜!」と大声で聞いては車を出し、の繰り返し。
カーナビとはいわないからせめてロードマップの一枚でも渡してやってよ、と雇い主に代わって
思うのでした。

 しかし、トムサンの真価は、この珍道中でロスする時間の計算は正しかった(?)ことでした。
ムアル川にかかる橋を渡って、スタート地点の街に着くとちょうど8時半。ああやれやれ間に合った、
と一同ほっとする中、周囲は関係車両や出走選手の自転車が増えてきます。トムサンはツアーのワッペンを
貼ったどこかのチームサポートカーを見つけ、目がキラリ!! とたんにアクセルワークに自信が戻った、
と感じさせる走りで、追走を始めました。

 しかし、3列シートの最後尾に座っていたナカネGMが突然「トムサン違う! NO!!!」と
叫びました。長年のレース勘が「何か空気が違うっ」と訴えたそうです。直後にサポートカーは左へ曲がり、
さっき渡ったばかりの橋を逆へ越えていきました。先回りしてゴールに向かう第三チームカーだったのです。
ついて行ってたら、せっかく5時半にホテルを出てきたのに、そのまんまホテルに戻るところでした。

 それでもスタート地点で準備をしているチームにしっかり間に合う、という見事なタイミングに、
いい加減なのかエエカゲンなのか、はたまた良い加減なのか。この間の良さはなんなんでしょ。
近所の学校のグラウンドを横断すると小旗を持った子どもたちに「アリガトー!」と歓声を挙げられたのは、
西谷効果であると信じましょう。付近には白とロイヤルブルーの豪奢なモスクがあり、これに限らず
白と青、という組み合わせが非常に多い国です。変わったとこでは女子中学生か高校生(?)の制服が
やはりこの配色。どこかで見たデザインだなあ、と思ったら第3新東京市立第壱中学校、でした。

 さて、菜々さんやナカネGMの計らいで、「プールカー」に乗せてもらえることになりました。
地元メーカーにして公式スポンサー・プロトンのスポーツクーペ。いかにも速そうな車ですが、
スタート前に現地を出ないといけません。ああ、これからレースが始まるのに、と後ろ髪をひかれつつも、
いざ走り出すと沿道に人、人、人。助手席のO野は前へカメラを向けてるのでたまに手を上げる程度ですが、
後席のKトウさんとN本さんは「せっかく手ぇ振ってくれてんだから」「子どもはどこの国でも可愛いねえ」
と窓を開けては律儀に手を振る「天○陛下の地方巡幸」状態。「キャアアアアアア!!」と声が上がるのは
くすぐったいような気分です。

 レースは後ろで進行中、車はハザードランプを付けてありとあらゆる信号をスルーし、気持ちよーく
カーブとアップダウンを繰り返していきます。外の暑さを棚に上げて、「自転車乗りたいよお」と
言いたくなる見事なツーリング用地形でありました。

 ゴール地点は人、人、人。そんな中をコース上へ繰り出しては物珍しげにうろうろできるのは、
さっき配られたIDカードのおかげ。ほどなく大集団がやってきました。はてどこに愛三がいるんだろ、
先頭は誰だろう、と考えながらシャッターを落とした次の瞬間。

「アヌエル・マナーン!」

 地元の英雄・初勝利。開催15年目にしてマレーシアに初めてもたらされたステージ優勝、しかも
昨日ポイントジャージを失ったばかりだから面目躍如、というとこですが、正直アナウンス以外では
視認できるスピードではなく、怒濤のごとく流れ込んできた残りの連中の中に愛三の選手がいたか
どうかはさっぱり分かりませんでした。しかし、なんかすごいもんが通過していったなあ、という
熱気の名残は生ならでしたな。

 さて、一行がゴールの余韻を楽しんでいた時、ナカネGMは「殺気」を感じて、ゴールに居るはずの
トムサンを探していました。しかし、何処にもトムサンの車はありません。19時に到着するS木君を
迎えに空港に向かっていたのです。朝9時にスタート地点を出発したのだから、飛行機が着くまで随分
あったはずなんですが・・・結局、主催者の車に分乗してホテルへ帰りました。

 もちろん、というべきか主催者の車も道に迷いましたが、今回はTグチ夫妻が、「今の角で曲がらなきゃ
いけなかったはずだ!」と声をあげたことで、被害はやや少なめですみました。着いたときも出るときも
真っ暗だったのに、よく地形を覚えてましたねえ、と一同感心。なんせ部屋に帰ってきたら、「あれ?
このホテルってオーシャンビューだったの? 裏はビーチ?」と驚いたぐらいですから。

 その後、簡単に昼食を済ませるとぽかっと時間が空いてしまいました。ホテルは郊外なので観光もままならず。
Tグチ夫妻は速攻で水着に着替えて本とビールを持ってプールへ! プールは大人がやっと足が着く深さで、
奥へ奥へと進んで行くと本能が「引き返せ!」と言ったとか。「きっとあのままプールに入っていたら、
私の旅はあそこで終わっていたような気がします。妖気に満ち溢れたプールでした」との述懐が残されております。

 N本さんはマラッカ海峡沿いに岬まで歩いてみたそうです。O野はバッグをトムサンの車に乗せっぱなしだったので、
パソコンや携帯など暇つぶしの道具は彼と一緒。(そんなときに限って日本から着信がありました・・)
水ひとつ無いのは不便でしょうがないし、近所の店へとことこ歩いて買い出しに出かけました。

 ホテルの隣はマレーシア陸軍の駐屯地で、装甲車両やら水陸両用車やら、古い大砲や対空機銃がいろいろ見えますが
「写真撮ったらあかんで」という表示も出ています。

 エアコンの効いた車の中では分からない草いきれと、聞いたこと無いような鳥の声と、もわりと
全身を包む湿った空気。O野は元々鹿児島や沖縄へ行くとわけもないのにむやみに嬉しくなり、
名古屋の冷え込みに出くわすと生命の危機を感じるたちなので、先祖返りなのかもしれません。

 ただ、アルコールがないと大変困る体質なのに、この国はイスラムなので酒にはことのほか厳しく、
ホテルにはビールもありませんし、普通の雑貨屋さんにはビールまでしかない。もうちょっとなんかないかなあ、
と結構歩いてようやく中国人経営の店でウイスキーの類を発見し、地元のリキュールのようなものと
ビールを二缶、ついでに水を買って1時間かけて帰還し、さて、これはどんな酒じゃろう、
と開けようとしたんですが、蓋が安物で開かない。こういうときは缶切りを使って、と思ったら、
アーミーナイフはトムサンと一緒に車の中です。

 飲めないとなるとどうしても飲みたくなるのが酒飲みの性で、上手に首の所を割ってみよう、と
いろいろ試してみたら、案の定やっちゃいました。風呂場の床のカドで首は折れたけど、拍子に
中身が全部出て行ってしまった・・・けっきょくガラスを拾う手間がかかっただけ。ビール飲んで
瓶の底にちょっとだけ残ってた甘い酒をなめてごろっと横になったら、あっさり寝てしまいました。

 ツールご一行が到着した夜は、ビーチに特設屋台が出て特製夕食のサービスデー。とはいっても、
やっぱりビールはありません。ホテルのマスターに車を出してもらい、ナカネGMとTグチさんで
缶ビールを大量に買い込んでビーチへ行ったら、我々が一番乗りでした。

 お一人様5RM。1RMは大体30円見当です。なんかエライ安いな、と思ったら、普段のビュッフェと
違ってきっちり盛り切り。何にでもココナツライスがついてくるのでお腹はいっぱいになりますが、
ビールのお供、となると、やや肴が心許ない感じです。

 そんな中、恐怖を持って君臨したのがイカのカレーでした。とにかく、真っ赤。朝出てきた豆板醤風
のとは違い、まともに辛い。ナカネGM、N本さん、Kトウさんと「これ、無理!」次から次へと
逃げ出す中、とてもきれいなTグチさんのオクサン(と書けと言われたんです)のアドバイスに従って
「ピーナツと揚げた小魚を入れると美味しいですねえ」と嬉しそうに食ってたのがO野でした。
新聞記者は何にでも食いつくのが商売とはいえ、悪食である必要はないのですが。

 夜には名古屋からサポクラ事務局のS木くんが1日遅れで到着しました。初めての海外旅行なのに
ひとりで香港で乗り換え、の課題は無事にクリアしましたが、クアラルンプール国際空港で早速洗礼を受けました。

 食事中にナカネGMの携帯が鳴り「到着しているはずのS木君が見当らない」と菜々さんを通して
トムサンから連絡。朝9時から空港に向かってるんだから余裕綽綽のはずと思っていたナカネGM。
「やっぱアドベンチャーツアーだ」と口にした瞬間、すかさずTグチ(嫁)さんに「ミステリーツアーですね」
っと突っ込まれました。ある意味この一言で「ま、何が起きてもミステリーツアーだし」という
基本合意(諦め、ともいう)が成立したわけで、以後のあらゆるトラブルとアクシデントを、
とりあえず「あはは」で済ませてしまう方向性を決定づける重大発言だったといえましょう。

 なお、ナカネGMの又聞き情報で、S木君が黄色いスーツケースで来た事を知り、菜々さん経由で
トムサンに「黄色いカバンを探せ」と昔の絵本のような指示が出され、無事回収されました。
「すみません、こんなに遅れてしまって・・・」と恐縮するS木くんを「いや、思ってたより
早かったんじゃない?」と平然と迎えた一行。恐るべしミステリー。

 明日はゲンティンハイランド。レースのハイライトは元より「アドベンチャーツアー」が
「マジカル・ミステリーツアー」に、さらにサスペンスに変貌する様を是非ともお楽しみに。
(いちおうハッピーエンドです)

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