どうも。最近洗濯機が壊れてコインランドリーデビューした橋本です。
タオルを洗っていた途中だったから、水浸しですっげぇ厄介です!!
ここ数日間で「オリオン座流星群」がみえるそうですね。しかも今夜がピークとか・・・・。流れ星ってなんとなく縁起物っぽいから是非見たくて2日間寒空の中頑張りましたが、空が明るすぎて見られませんでした。見られた方にはぜひとも週末のジャパンカップの必勝祈願をしていただきたいものです☆
さてさてタイトルにもありますが今回は「ヘラルドサンツアー番外編」。
海外のレースには、悔しい思いもあれば、自分なりの収穫もあれば、心温まる交流もあり、と選手もスタッフも本当に色々な体験をし、そして前よりももっと成長して逞しくなって帰って来てくれます。
今回は、海外レースならではの様々なエピソードをNanaさんが寄せてくださったのでご紹介します☆
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Nanaさんリポート ~番外編という名の珍道中(笑)~
〔仲野マッサーの受難〕
まずは、今回ロードレース初参加の仲野さんをご紹介します。
物静かなとてもまじめな方という印象を受けました。基本的に赤星マッサーと動いていただくことが多かったのですが、最後の2ステージは別行動になりました。
第5ステージ個人タイムトライアルの日は、ホテルからスタート/フィニッシュ地点までの距離は約2km。チームカーとミニバンは、全選手がフィニッシュするまでそこから動けず。しかし選手は各自フィニッシュ後ホテルへ自走で戻れるため、仲野さんにはホテルで待機してもらうことになりました。
一度スタッフを送ってもらい、いざ戻ろうと思ったらホテルへたどり着けず。それまで運転はしていても赤星マッサーの後ろか他のチームの後を着いての移動でしたから・・・。(ちょうど初めて免許をもらって一人で運転するときの感覚でしょうか)。本来とても簡単な一本道なのにレースコースの都合上迂回しなければならなかったので(しかも誰も教えなかった!)そりゃ迷います。ということでスタッフを降ろした場所まで戻って待機となりました。幸い(?)選手はレース後もコース途中やホテル前で観戦をしていたし、我々を乗せてホテルまで送ってもらえたしで全く問題はありませんでした。
そんな仲野マッサーに更なる試練が訪れたのはその1日後のことです。
17日(土)、最終日のレースに備え午後13:00にメルボルンのホテルに到着。選手は昼食、スタッフは荷物を搬入しホテルのチェックインを行いました。14:30過ぎようやくひと段落のところで
「どうも僕の(日本の)携帯電話がありません・・・。」と仲野さん。
えっ!?記憶をたどると・・・。
朝(なぜか)電源を切ったことと、自分の部屋のベッドの上にあったことまでしか思い出せないとのこと。一応鞄の中一通り探してもらいつつ、Geelong のホテルへ電話をしました。
「Aisan Racing Team のNana ですが、今朝チェックアウトしたときに携帯の忘れ物・・・」
「おー、36号室で見つけたよ!」
しかし見つかったのは良かったものの、よりによってさっき2時間掛けて来た出発点!!!
「誰かこれからメルボルンへ来ませんか?」
「No.」
「何ならレース観に来ませんか?」
「ハハハ。無理だね。」
やっちまったので落ち込む仲野さん
ですよね・・・。
この時すでにチームカーをレンタカー屋さんに返却に向かっていたジョニー監督へ連絡し事情を説明。「酷かもしれないけれど仲野さんに一人で行ってもらうしかないね。」ということで、主催へ後半日チームカーを利用する許可をもらい、ジョニー監督はホテルへとんぼ返り。仲野さんの大冒険が始まりました。
メルボルンのホテルからフリーウェイに乗るまでの約5-6kmと、その高速を降りてからの約2kmが鍵となります。途中の約50-60km はほぼ一本道。それでも仲野さんにとってGeelong の海沿いの道は鬼門です。赤星マッサーと私二人掛かりで道を何度も説明し、メモを書き、励まし、一人旅が始まりました。オーストラリア番号のジョニー監督の携帯も渡したのできっと大丈夫!!
メモを手に不安の色を隠せない仲野さん
そして我々もホテルを発ちレース会場へ。
レース開始後3度目のホテルへの電話で、仲野さんがホテルへ無事到着し携帯電話を渡されすでにメルボルンへ向かっていることを確認しました。そしてレース後ホテルへ向かっているとき、かかってきました!仲野さんからの電話です。
「無事にホテルに戻りました。車も地下の駐車場に停めました!」
「おめでとうございます!!!」
選手がホテルへ戻る約15分前に帰ってくるとはさすがです。さらにバン2台はガソリンスタンドへ寄らなければ行けないので選手の出迎えができるのは仲野さんだけ。Good Job です!!でも全員での写真には写れず・・・ごめんなさい!!
だから写ってなかったのね仲野さん
実は仲野さん、海外へ行くこと自体今回が2度目だそうで、1度目は陸上のお仕事でインドへ行かれたそうですが単独行動は皆無だったそう・・・。車を運転するだけでも緊張されていたのに、まさか自分のミスとはいえ一人旅をすることになるとは・・・。帰還後の写真です。男らしくなった仲野さんわかりますか?(ホッとしているとも言えるか・・・)。
10日間本当にありがとうございました!
安堵の仲野さん。オイシイぞ仲野さん!(笑)
〔Nanaさんも受難〕
さて、人のことを笑って言える私ではありません。
私にも事件は起きました。インドネシアの馬車暴走以来の、いやそれ以上になったかもしれない事件です!!
あれはGeelong 一泊目のこと。日付の変わった午前1:30頃だったでしょうか。全ての作業と打ち合わせも終わり、スタッフも各自の部屋へと戻りました。私は女性(一応)なのでアパートメントのような一軒家式の場合を除いて、一人の部屋です。バスルームに入ってドアを閉めて・・・
ん?あれっ!?あれっーーー!!!???
ドアノブが回るけれどこれって空回り!!ノブだけ回ってドアに引っかかってるとこは無反応!!閉じ込められた??
窓もない。電話もない。
ガーン。
落ち着いて。落ち着いて。あんまりドアノブ回しすぎると抜けそうな感じ。
それは最悪。
どうする私!?どうするのー!!!
ここで朝まではきつい。何せ換気扇も回っていて寒いし朝誰が気づく?やばいってー。
ということで方法はただひとつ。「助けを呼ぼう」。
私の部屋は、匠選手・ケンケンの部屋と、ジョニー監督・ナカジメカに挟まれた部屋。大きな声を出したら選手も起きちゃうかも。でも!でも!でも!たくちゃん・ケンケンごめん。
3回まで許して!(←さすがNanaさん冷静・・・・そして3回ってリアル・笑)
<1回目>
ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!「ジョニーさん!」
シーン・・・。
<2回目>
ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!「ジョニーさん!!」
トントン!入り口に反応。やった!
「フロントに行って鍵もらってきてください!」
「えっ?」
ドア2枚だから聞こえなかったみたい。行かないでよーーーー。
(大きな声で)「フロントへ行って鍵もらってきて開けてください!!!」
ドドドドドーーーーーー!!!
(ナカジメカの走る音/翌日の選手の証言による)
2分後・・・・カチャッ!!
「ありがとうーーー!!!」
「イヤ、僕もやったことあるんで」
そしてナカジメカはトイレのノブを直して隣の部屋に帰っていきました。私は無事にベッドで休みました。それ以来バスルームには携帯を持っていってます。そして以後2日間はナカジメカに優しくしました(つもりです)。翌日やっぱり匠選手にもケンケン選手にも聞こえていたらしいと判明。「火事かと思ったけどまた寝ちゃいました」とはケンケン。ご迷惑お掛けしました。ジョニー監督はなんと爆睡中で全く気付かなかったそうで・・・。
〔今日はなんショッツ?編〕
まじめな(!?)番外編もあります。
第2ステージ前にDarryl(Shotzのオーナー)が撮ってくれた写真です。この日この後キャプテンの落車があったので不採用になってしまいましたが今回送らせてもらいます。Darryl を見てShotz を嬉しそうに食べる皆の写真です。7人での貴重なショットです。
7ショッツですね。
〔半世紀以上の時を越えて・・・〕
今回参加したJayco Herald Sun Tour は今回で58回目を迎える歴史ある大会としても広く知られています。関係者の方や地元の方と触れ合っていてもそれはとても感じることですが、最終日アイサンの3つ隣のテントにはなにやら歴史を感じさせる展示がありました。
最初は赤星マッサーが見つけ、これって・・・?ととりあえず写真を撮っておきました。アルカンシェル?それとも・・・??いまだに謎ですが、Sun Tour1954 のワッペンがついているので当時のジャージでしょうか?
このジャージは??
そしてレース後、キャプテンとそのテントに行くともう帰り支度をしているおじいちゃまとおばあちゃまが。もしかして元選手??ということでお名前とお話を伺いました。
この方はMr.Angelo Catalano とおっしゃって、1952年から1956年までサンツアーを走られたそうです。サンツアーが始まったのは1952年。なんと第一回大会から5年間参加された方だったのです。まさに歴史です。そして1954年には山のステージで区間賞を取られたそうです。
50年以上も前の自転車とチームカー(当時はその呼び名ではなかったようですが)に感激しました。キャプテンと2ショット。半世紀の時を越えた選手の写真です。撮ったときより今こうして見ていると何か感慨深いものを感じます。
Mr.Angelo Catalano と綾部キャプテンの貴重な一枚
当時の自転車です
更に検索したらヒットしました!下記よければご覧下さい。何でも当時はイタリアからいらしたばかりで言葉も不自由で苦労されたと、一緒にいらしたご婦人(奥様なのでしょうか)が穏やかに語ってくださいました。
http://www.users.on.net/~jmcleod/BVPix/
http://www.borsaricycles.com.au/loadShopHistoryTwo.do
HPによると1931年2月3日イタリア生まれ、ってことは78歳!!感激でした。そしてそんな歴史ある大会に参加できたこと改めてすごく嬉しく感じます。
〔最後はこれで〆〕
しめは番外編らしくメルボルン空港で売り物のカウボーイハットでショータイムの写真でお願いします!
さすがぁ!
サイズあってへん?
なかなか似合ってる!
最後に・・・。色々あった今回のツアーでしたが、いつもながら選手の皆とジョニー監督はじめスタッフの皆さんのお陰で、私もバスルームで息耐えることなく無事に帰国できました。ばたばたの中毎日送るメールをうまくまとめていただき中根GM・橋本さん本当にありがとうございました。なんだかいつの間にかNana’s Report なる名前まで頂戴し、どんなことを書いたらいいのやら迷いながらでしたが、少しでも海外での皆の様子が伝わったなら嬉しいです。読んでくださった皆さんもありがとうございました。
今年は初めて4レースも愛三の一員として海外を回ってきました。この経験を私も選手同様、しっかり活かせるようにこれからも頑張ります!!!それではまたー。
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Nanaさんには今シーズン、本当にたくさんのチームの顔を伝えていただきました。来年もきっとNanaさんならではの鋭い視線とチームへの愛で、チームの今を伝えてくださることでしょう。期待したいですね!
さぁ、週末にはいよいよジャパンカップ。
ハシモトも気合はいってきました!
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